玉造を走ったこの6年
92年 9月26日 記 小野里栄治
夏にマラソンを走る。最近は日本陸連さんも暑い時期のマラソンを重視し始め、北海道マラソン等に一線級のマラソンランナーを出場させたりしているが、一般的にはマラソンは冬。春〜秋はトラックのイメージが強く、夏のマラソンはマイナーな存在となっている。そんな季節に、日本で6番目に長い歴史を持ち、かつてはアジア大会マラソン選手選考会としての実績がある、玉造毎日マラソンが存在している。最初にこのマラソンを走ってみようと思ったのは、始めて別府大分毎日マラソンを走った年。動機は単純で、別府大分・玉造・びわ湖の3つの毎日マラソン出場に挑戦してみようと思ったことであった。(3つ目のびわ湖とは相性が悪いようで、標準記録を突破したその翌年に標準記録が上がってしまい、参加出来ないイタチごっこを、86年から続けていて、いまだ走ったことがない。)しかし、気軽に参加した初めての玉造で地獄を見せられてから気持ちが一転、意地を張って玉造通いを続ける事になってしまった。
夏のマラソンという特殊な条件があるが、田園クラブの三宅さんが唱えた「マラソンを知的レジャーにとするために」同様マラソンを目指す人達に、レースに対する取り組み方や練習のやり方が少しでも参考になればと思い、この6年玉造に通った結果と、汗と涙と思いでの詰まった??練習記録を記述します。読んで見て下さい。
・玉造毎日マラソンはどんなレースか
私が玉造に初めて参加したのは、1987年の30回大会から。コースは玉造温泉をスタート・ゴールとして、最初と最後の2kmを除き宍道湖畔を走る往復コースとなっていた。スタートは30回大会は午前9時30分、それ以降午前9時となったが、走っていて疲労が増して行くほど気温が高くなり辛い思いをさせられる時間帯に設定されている。そして何よりも辛いのは、暑い季節のレースにも関わらず給水(正確には飲食物供給所)の数が少ない。普通のマラソンなら、11kmと16kmの給水の間の13.5kmにスポンジ等が置いてあるのだが、玉造にはこれが無い。11kmから5kmごとだけで、例外は39kmの1カ所だけ。全部で8カ所しか水が取れない。(32回大会からは6kmにも給水が置かれ9カ所に増えたが・・・。)それに関東では今ではちょっと考えられないが、道路を完全交通規制しないので、先頭から5分位遅れれば一般車両の脇を走ることになり、これが恐い。6回走った間に、ダンプに幅寄せされてガードレールとダンプに挟まれそうになった時と、3人並列で一番右側を走っていたら追い抜いて行った観光バスのバックミラーが頭の上をかすめていった事があった。右カーブだといってヘタにセンターライン寄りを走ると命を落としかねない危険な状況(車を避けるために歩道を走った事もあった。)なので、道路の左側を1列に走らざるを得ない。この様な走り方をさせられると精神的にもかなり疲れる。これに暑さによる肉体疲労が加わって、「モウダメダ」と思ってしまうと、二度と立ち直れなくなる。このへんが完走率の低い要因なのだろう。
悪口ばかり並べてしまったが、主催者によれば「新人の登竜門・一番風景の綺麗なこース」というのがうたい文句となっている。もちろん「耐暑レース」と言う言葉も入っている。もっとよく知りたい人は私に言ってください。来年案内致します。女子20kmの部もありますのでヨロシク・・。
・玉造を走る時の取り組み方
基本的には冬のマラソンを走る時と変わっていない。私のマラソン練習のやり方は、ジョグで距離を稼ぐ事と、自分がマラソンを走りきる時間と同じか、それ以上の時間体を動かし続ける練習を基本とし、距離を稼ぐ方はマラソン前の2ヶ月は自分の年間走行距離の平均を上回ること。時間の方は最低2時間30分をマラソン前の2ヶ月に4回以上行なう事を目標にしている。マラソン前の2ヶ月で自分の走行距離の平均を上回る距離は私の場合1000kmとしている。このやり方を夏の玉造にもそのまま取り入れ、7・8月をこの方法で過ごしてきた。後に付けた87年から92年の練習記録がその結果である(表中のJogはkmあたり5〜6分、Runは4〜5分、「走」はそれ以上のペース。Bicは自転車 −88年〜89年頃D51-ACにも、トライアスリートの女の子がいて、彼女が結婚で退会するまでは、結構こんな練習もみんなで行っていた− Walkは90年当時東京陸協のTさんに勧められ、競歩練習を行っていた時のもの)
玉造を走る時の取り組み方と書いてみたものの、この6年間の練習記録を見てみると、毎年練習のパターンが異なっていて、まとめて見てしまうと何が何だか自分でもよく分からないので、1年毎に立てていた目標と結果、練習の反省点を考えて見る事にした。
87年玉造 88年玉造 89年玉造 90年玉造 91年玉造 92年玉造
6回のマラソンを振りかえって何かを見つけようと思ったが、なかなかまとまらない。最初にも書いたように練習のパターンが毎年の様に変わっている。自分では相変らずの生活をしているつもりだが、練習記録を振り返ると6年間の月日の長さが感じられる。
マラソンを目ざす人達に少しでも参考になればと思って書き始めたが、書いているうちに、自分の思い出ばかりになってしまった。「こうやればウマく出来る」と確信をもって奨めることは出来ないが、こんなやり方もあったのかと何かを感じてくれる部分があれば良いと思う。