玉造毎日マラソン
の思い出

島根県の宍道湖畔で開催されるこのマラソンは関東に住んでいる人にはなじみの薄いマラソンですが
私にとっては思い出に残るマラソンです。
この試合で結果を残した事からマラソン仲間に注目されるようになりました。
その事がマラソン自己新記録更新への力につながっていったのではないかと思います。

玉造毎日マラソンは毎年残暑厳しい敬老の日に行なわれている
かつてはアジア大会マラソン代表先行レースに指定されていた伝統ある大会です。
私がこの大会に参加するきっかけとなったのは、D51−ACのFさんに
「山陰で面白いマラソンがあるよ、小野里さんなら結構良い成績残せるんじゃない?」
と誘われた事からでした。
その頃はまだマラソン経験も少ないのに、別府大分毎日マラソンを走った事でちょっと強気になっていました。
大会の過去のデータを調べると優勝タイムは2時間27分くらい、入賞(10位以内)は2時間40分を切れば確実!
当時ベストタイム2時間34分の私は「これならいけるかもしれない」と本気で思いました。
気温は30℃以上、コースに日陰はない、優勝者は冬のマラソンなら2時間15分で走ってる
そんな事には目が届きませんでした。

何も知らずに走った初めての玉造は、私に夏のマラソンの怖さをいやというほど味あわせてくれました。
この時のゴールタイム3時間17分10秒はマラソン完走の最低記録です。
初めての時はペースなど何も考えず前半から飛ばしたのが失敗と思い翌年はこの経験を生かし
入賞圏内の2時間40分を目標としたペース走を徹底した結果7位入賞の恩恵に預かりました。
その翌年もペース走がうまく当たり6位入賞を果たし、自分に大きな自信が生まれ、
この冬のシーズンにはマラソン自己ベストを更新する事が出来ました。
冬のマラソンでベスト記録を更新した後の玉造は強気で挑みました。
次の2年は開催日が台風と重なり気温が低くハイレベルの争いとなりましたが、勢いに乗って
8位・10位と四年連続入賞を果たし、玉造ではちょっとした「顔」になったこともあり
この頃玉造ではたくさんのランナー達と知り合う事が出来ました。
富士登山競争の大将、芹沢さん・国体山岳部門の優勝者で中日福井マラソンの優勝経験もある荒津さん
福岡国際マラソンでおなじみの和歌山県警の上野山、丸橋コンビ・尾道の徹底先行市民ランナー上本さん、
47歳にしてまだ玉造で入賞してしまう岡山教員クラブの河井さん・・・
みんなとお話する事で、市民ランナーがマラソンで勝つためのノウハウみたいな事をたくさん教わりました。
広島にある某実業団のD監督には「走りたければうちの会社に来ないか?」とスカウトまでされました (^_^)

玉造毎日マラソンで一番思い出に残っているのは
40回記念大会の時に多数回参加選手(10回以上)として感謝状を頂いた事と
32回大会6位の成績が大会プログラムの過去の成績欄に残っている事です。
陸連公認レースでプログラムに名前を残せたのはここだけです。
最近は、マラソンを走れないけれど同時に開催している20キロの部に参加していますが
昨年も大会前日に受け付けをしていると、「今年は体調どお?」と聞かれました
玉造には常連が多いので私の過去の栄光を覚えてくれている人もまだいるようです。

「71」が私です
89年、10キロ付近の松江温泉街にて 新聞社から送ってもらった写真です

玉造毎日マラソンの成績
87年9月15日 3時間17分10秒  29位
88年9月15日 2時間41分11秒   7位入賞
89年9月15日 2時間47分43秒   6位入賞
90年9月15日 2時間36分24秒   8位入賞
91年9月15日 2時間35分21秒  10位入賞
92年9月15日 3時間00分37秒  32位
93年9月15日 2時間38分53秒   9位入賞
94年9月15日 2時間56分55秒  57位
95年9月15日 途中棄権
96年9月15日 3時間15分08秒 112位 
97年9月15日 途中棄権