山口県防府市で毎年12月末に行なわれているこのマラソンは記録が出るので有名です
防府を走るための練習を組むと、10月11月と1年で一番走りやすい季節が走り込みの時期に重なるので
質の高い練習を積みやすいし、シーズン最初のマラソンなので疲れも溜め込まずに挑めるからでしょう。
私も自己ベストを目指し年末の山口詣でを繰り返しマラソンタイムベスト3はいずれも
この防府読売マラソンで記録しました。
初めて防府に行ったのは88年冬
この年私は9月の玉造で入賞、11月は千葉ハーフマラソンで青東駅伝千葉代表の山口君(アトミクラブ)に競り勝ち入賞、
同じ11月末には品川区代表として丹沢湖マラソン10キロに参加し入賞するなど調子は乗りまくりでしたが
11月に張りきり過ぎたせいか、12月は体調下降気味でマラソンを迎えてしまいました。
一緒に遠征したD51-ACマラソントリオのTさん・Fさんとともに
各自の自己ベスト更新を狙ってスタートしたのですが・・・
私は最初からペースが上がらず、最後までもがいたものの2時間47分台とあえなく沈没。
徹さん、Fさんも積極果敢に走りながらも、終盤にペースダウンしてしまい自己ベスト更新ならずでした。
良い記録を出した連中は「防府は距離が短い」などと言っていましたが、私達にとっては、果ての無い長〜いコースでした。
89年からは防府のコースが変わりました
前年までは市街地はずれにある、佐波川沿いを遡上する折り返しコースだったのですが、コースは市内に変わり
陸上競技場発着で市内を「の」の字型に廻り、折り返すややこしいコースになりました。
試合前日のコース下見をしても全然コースは覚えられず、走っていても次はどっちに曲がるのか?
と迷子になりそうなコースでしたが、市内を走るので沿道の応援が多いのが励みになりました。
そのおかげか89年・90年と連続自己ベスト更新で3年連続の東京国際マラソン出場の恩恵にあずかれました。
91年の防府は初めての時同様体調不良の絶不調で迎えました、どうしょうもなければ参加取り止めにしよう
と思っていたのですが、試合が近づくと読売新聞社から取材の電話などがあり、止めるにやめられず山口へ。
半ばやけっぱちで前半からハイペースで突込みましたが思ったとおり28キロで脱落、一度は歩いたのですが
最後は一緒に参加していた、D51-ACのTさんに、引っ張られるようにしてゴールにたどり着きました。
結果が散々だったためでしょう、レース後は、読売新聞社からは何も言って来ませんでした。
92年は復活をかけて10・11月で1100キロを走り、万全の調子で防府に挑みましたが・・・
天は我を見放して、この年は雨の中のレースとなってしまいました。
冬の雨のなかのマラソンほど辛いものはありません、いくら走っても体は冷える一方、
おまけに、自分の足でで跳ね上げた雨水が、ふくらはぎにかかり足はどんどん冷えて行きます
途中の給水を取りたくても、手がかじかんでしまい、走りながらコップを持てず、給水も思うように出来ません。
せっかく走りこんで、体を作って挑んだ試合も、天気が悪ければどにもならない、
やはりマラソンは難しいなーと思いました。
93年も10月11月の走行距離1150キロと、それなりの練習を積んで防府入りしました。
今度は天気も良く、記録を狙うには絶好のコンディションです!
今年は自己ベスト更新出来ると思い、前半は自己新記録を狙える良いペース走で走っていたのですが、
20キロ過ぎから右足のウラが痛みだし、足をうまくつけなくなってしまいました。
最後まであきらめまいと必死に走りましたが、ズルズルとペースが落ち、最後は片足引きずってゴールイン。
それでも自己3番目の記録で走れていたのですから、痛みが出なければと悔やみました。
天は見放さなかったのに、自分の体に見放されてしまってはどうしようもアリマセン
防府読売マラソンの成績
88年12月11日 2時間47分24秒 順位不明
89年12月10日 2時間31分53秒 35位
90年12月16日 2時間29分33秒 54位
91年12月15日 2時間49分28秒 順位不明
92年12月20日 2時間35分39秒 順位不明
93年12月19日 2時間33分58秒 62位