北陸地方で開催されている伝統の中日福井マラソン
今では開催地が越前大野市と山の中になってしまい、東京からでは参加するのも大変な場所
になってしまいましたが、私が走ったときは福井運動公園発着の平坦な折り返しコースでした。
ここを走ろうと思ったのは92年の玉造を走った後の事
この年私は玉造で惨敗したのですが、冬には徐々に調子も戻ってきていたので、
復活をみんなにアピールしたいと思っていました。
玉造毎日マラソンでしのぎを削った人やマラソン以外でも鳥海山登山競争で負けた事がない
「ライバル達」が過去の中日福井で上位入賞を果たしているのを見て
つくば・玉造とローカルマラソンの入賞実績を持っていた私は強気になって
ここなら何とか10位以内に食い込めるだろうと楽観視していました。
そんな気持ちで申し込んだ中日福井マラソン、大会前には職場に中日新聞社から電話があり
事前の調子はどうですか?などとインタビューをされたこともあり、よけい強気に!
試合前の目論みは、別府を走ったタイムで良ければ充分入賞ライン、自己ベストに近いタイム
で行けば、3位以内で表彰台・間違ったら優勝!?。だったのですが・・・
私は春先の日本海側の気候を全く考えていませんでした!
試合当日気温7℃はよいのですが、風は吹くは、雨は降るは!
とても集中して走る条件じゃあありませ〜ん!
オマケに参加メンバーが玉造でしのぎを削っていた連中がゴロゴロ・・・
玉造では自分の持ちタイムの悪さを逆利用し後方で粘り上位が潰れるのを待つ走法でしたが、
それは暑い夏のマラソンだから出来る技であって、悪天候ではそれは通用しません
ゆっくり走ってたら、体が冷えちゃって後半持たなくなっちゃいます。
試合では、スタート直後から第2集団で入賞圏に残ろうともがきましたが
速いペースに付いて行けず、25キロ付近であえなく脱落・・・
試合が終わった後、更衣室で「こんな天気じゃ!」とぼやいていたら、地元の人に
「今年はまだ走りやすかった」と言われて愕然
事前に福井の気象条件を調べもしなかった自分の甘さを反省しました。
2度目に中日福井マラソンを走ったのは95年
この頃から坐骨神経痛の症状が始まっていて、この年2月・別府大分に参加予定だった
のですが、冬場になって坐骨神経痛が悪化、とても制限時間「2時間40分」で走れそうもなく
別府大分の参加を見合わせていました。
4月になれば坐骨神経痛も治るだろうし、中日福井の制限時間は3時間30分なので
それだけ時間があれば、まさか完走できない事はないだろう
と思い2月に急遽参加を申し込みました。
ところが・・・またしても福井は雨と風!とてもじゃないけど走れたものではありません
完璧な体調でも途中でコケたのに不完全な体調では走れるはずがありませんでした。
中間点を越えた所で審判に自らリタイアを申し出て収容車に乗りました
これがマラソンで初めての途中棄権です。
私に走ることの厳しさを教えてくれた中日福井マラソン
いつかもう1回参加して「完走」したいと思っています。
ちゃんと走れるようになったよ♪って言いに・・・
と、思っていましたが、中日福井マラソンは2000年4月を最後に開催されていません
2001年からは「福井駅前マラソン」として、ハーフマラソンが実施されています。
中日福井マラソンの成績
93年4月11日 2時間47分27秒 45位
95年4月16日 途中棄権