東京国際マラソン
の思い出



東京でマラソンが開催されるようになったのは1980年代に入ってから。
コースは私の住んでいる品川区も通っています。
地元ランナーとしては1度でいいからゼヒ走ってみたいマラソンでしたが
幸運に恵まれ3回も走ることが出来ました。

思いもよらぬ初参加
89年、この年世間は年号が「昭和」から「平成」に変わった日本にとっては大きな節目の年でしたが
陸上競技会でもその影響がありました。
例年2月の第2週に行なわれていた東京国際マラソンが「大喪の礼」により3月の第3週に日程が
変更になりましたが、開催日の変更と共に参加資格を大幅に変更。
従来はマラソンで2時間30分以内の記録を1年以内に出したものだったのが
何とマラソンで3時間以内と大幅に緩やかにされたのです!
これを知ったのは2月3日。
その日、私は5日に行なわれる別府大分毎日マラソンに参加するため荷造りをしていた時に
その頃一緒に練習していたみすじクラブのSさんから電話がかかってきました
「一生に一度のチャンスだ!スグ申し込め!!」と
慌てて荷造りを済ませ電車の時間を気にしながら陸連事務所に直に向かいそこで申込書手続きを
終え、さらにD51-ACの仲間のために申込書のコピーをもらって別府へ旅立ちました。
試合は3月19日強い春風の中で行なわれました。
私は別府からわずか6週間と充分な休養もなく万全の体調ではありませんでしたが、
憧れていた東京マラソンのコースを、一緒に練習していたD51-ACの3人の仲間とともに駈け抜けました。
10キロ付近にて「143」が私です
この試合で初めて両親が私の走る姿を見に来てくれました。

本当の国際マラソンは辛かった!
90年東京国際マラソンは参加標準記録2時間32分以内で選手募集と聞いたなか、
私は89年12月の防府で2時間31分53秒のタイムを出し
まさに滑り込みの記録で2回目の東京を走りました。
(実際は、この年の参加標準記録は、2時間35分以内だったのですが)
この持ちタイムで東京を完走しようとするのは至難の技です
何しろ途中関門が厳しく20キロを1時間10分・30キロは1時間48分で通過しないと
関門制限オーバーで失格になってしまいます
20キロを1時間10分のペースは単純計算するとマラソン2時間27分のペースでいかなければ
アウトです、私の場合は最初からオーバーペースで行かないといけません、
そんな訳でスタートから悲壮な覚悟、ビリでもいいからとにかく完走を目標、
いやそれより前に、20キロの関門通過を目標に走りました。
問題の20キロは1時間9分28秒・30キロは1時間46分27秒で通過・・・
その後は力使い果たしてヨレヨレでゴールイン、後ろから9位ながらとにかく完走しました。

恥をさらした3回目
91年東京国際マラソンの参加標準記録は例年通りの2時間30分に戻りました
この年は世界陸上東京大会の前哨戦及び日本選手最終選考会も兼ねていました
今回も前年12月に防府で出した2時間29分33秒の滑り込みタイムで東京に出場・・・
出場したはいいけれど、再び私は関門制限との争いです。
同じマラソンを走りながらテレビに写る先頭集団とは全く別の「争い」を展開する私。
この年は参加者も80名と少なくオマケにみぞれの降る最悪のコンディション
スタート前からいや〜な予感がしていました。
20キロは1時間8分50秒・10人くらいの集団で通ったのですがこれでも最下位グループ
25キロ付近から冷えて体が動かなくなりこのグループにも置いて行かれ
最下位独走状態・・・振り向けば後ろに収容車、みっともねー!!!
多勢の人がいる品川駅前で私の名前を連呼する人が・・・田園クラブの三宅さんでした
最下位なのに名前呼ばれてもねえ・・・私は痛くもないわき腹押さえて腹痛に苦しみながら
走る悲壮なランナーの演技しちゃいました・・・
泉岳寺で見ていた両親の前も、芝にいた会社の人の前も、み〜んな最下位で通過
皇居前(32キロ付近)でやっと一人に追いついたのに、そいつは私に抜かれるなりリタイア
結局ビリのまま延々と走り続けました。
圧巻だったのが水道橋駅前を通過した時。警察官が大きな声で「この選手が通過したら
交通規制を解除しまーす」と言っているのが聞こえましたが、沿道のおっちゃん達は
もっと厳しく「早く行けよっ!」だって・・・後楽園場外に馬券買いに来てる人達ですね
閉め切り時間が気になってたんでしょうが、こっちだって関門通過に必死になった結果の
姿なんだから・・・どうもバクチ好きは敗者に鞭打つのが好きなようです
このまま最下位かな〜と思いましたが、コース再難関の四谷の登坂で4人を捕らえ
ようやく最下位脱出、安心して41キロの給水は立ち止まって飲みました
ほんとうはもう、走りながら水を飲める状態ではなかったんですね。
国立競技場には後ろから5位で昨年以上にフラフラになってゴールイン
ゴールではスタンドからの暖かい拍手と、役員の持つ担架が私を迎えてくれました。


東京国際マラソン参加成績
89年3月19日 2時間38分59秒 79位
90年2月12日 2時間36分35秒 78位
91年2月10日 2時間36分13秒 54位